大正7年 |
創業 |
大正10年 |
大阪の青山進行堂より新しい印刷機と活字を購入し、八幡浜市千代田町に移り米沢屋印刷部豊予社とする。当時ニューヨーク在住のドイツ人から写真術を習い、八幡浜で写真館を開いた中山近太郎氏に湿版写真術を習い、県下で最初の写真製版を手がける。 (従業員35名)
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大正末期 |
石版 ⋅ コロタイプ ⋅ タオル印刷 ⋅ 洋帳製本 ⋅ 活版印刷を導入。また当時では珍しい四六半裁オフセット機を購入する。 |
昭和2年 |
足袋製造の工場だった自宅である松柏に工場を移す。 |
昭和21年 |
戦後初めての総選挙(第22回)がおこなわれる。県下の印刷所は空襲で焼けたため、当社が投票用紙の印刷依頼を受ける。当時紙はなかったため、東宇和郡野村町の泉貨紙を使って印刷をする。 |
昭和27年 |
四国で初めてモリサワの写植機を導入。 |
昭和62年 |
現在の新工場完成 |
平成2年 |
菊半裁4色機(KOMORI)を導入。 |
平成5年 |
プリプレス部門第1次デジタル化。カラースキャナ ⋅ イメージセッターを導入。 |
平成9年 |
プリプレス部門第2次デジタル化。カラースキャナ ⋅ イメージセッターを増設。組版編集機REONET(RYOBI)を導入し、新聞・広報類への対応強化。 |
平成10年 |
大洲市東大洲に大洲営業所開設。大洲・喜多郡への営業力強化。 |
平成12年 |
2台目の菊半裁4色機(KOMORI)を導入。カラー印刷への対応強化。 |
平成15年 |
組版編集機REONET(RYOBI)増設。新聞・広報類への対応強化&スピードアップ。 |
平成16年 |
中綴じ製本機導入。頁物の製本加工の対応強化。 |
平成17年 |
無銭綴じ製本機導入。頁物の製本加工の対応強化。 |
平成18年 |
CTPシステム導入。 |
平成20年 |
新プロジェクト「プリント・ラボ」営業開始。ウエアプリントの業務強化。 |
平成22年 |
プリントラボ宇和島店開設 |
平成24年 |
松山サテライト開設 |